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自衛 (ポーランド)[じえい]
自衛(じえい、Samoobrona、正式名称:Samoobrona Rzeczpospolitej Polskiej(ポーランド共和国自衛)、略称 : SRP)は、ポーランドの政党である。党首はアンジェイ・レッペル(Andrzej Lepper、1992年~2011年〔2011年8月5日に自殺。出典:〕)。 == 歴史 == 起源は農業労働組合「自衛」〔仙石学「ポーランドの政党・選挙データ」『ポスト社会主義諸国政党・選挙ハンドブック I』ポスト社会主義諸国の政党・選挙データベース作成研究会(編)。京都大学地域研究総合情報センター、2009年3月。pp.5-28。〕で、1992年6月12日に政党として発足した。2000年1月17日には現在の正式名称である「ポーランド共和国自衛」に改称している。 発足後、1993年及び1997年の選挙では議席獲得にはいたらなかったが、2001年の選挙では失業者や年金受給者、労働者の支持を集め〔、一気に第3党へと躍進した。その後、与党の民主左翼連合が内部分裂を起こし求心力が失われていくのを背景に、自衛はその支持をのばし〔Migalski, M. "Poland," ''Parties and Party Systems in Central Eastern Europe'', M. Migalski (ed.), Sosnowiec: Wydawnictwo Wyższej Szkoły Zaeządzania i Marketingu w Sosnowcu, 2004, p.66.〕、次の選挙でも56議席を獲得、2006年5月からは「法と正義」やポーランド家族同盟とともに連立政権を組んだ。 しかし2006年12月、党首アンジェイ・レッペル(当時・副首相)のスキャンダルが発覚し〔副首相にセックス・スキャンダル、連立政権ますます窮地に - ポーランド AFP BB News、2006年12月07日。2009年5月22日閲覧。〕、また2007年7月にはレッペルが汚職に関与した疑いで副首相を解任された〔ポーランド連立が崩壊/副首相解任、早期選挙も 四国新聞社、2007年7月10日。2009年5月24日閲覧。〕ことから、8月には連立政権も解消。こうした中で自衛は急速に国民の支持を失っていった。同年に行われた議会選挙では、得票率が議席獲得に最低限必要である5%に達せず、セイムにおける全議席を失った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自衛 (ポーランド)」の詳細全文を読む
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